“君の好きな歌”  『音での10のお題』より

 

 
普通一般の斉唱とは唱法が違うものなのか、
賛美歌というのは独特の趣きがあると思った。
聴衆という聞き手を前にして、話しかけるように歌い紡ぐ合唱と違い、
聖堂の造りのせいもあるのかもしれないが、
その透き通った声は、上へ上へと泳ぎのぼってゆくような感がある。
様々な高さの声が幾重にも輻輳したまま、されど絡まりも濁りもしないで。
肌に懐っこくも沿うような柔らかさもなく、
さりとて耳を刺すような尖りもなく。
切ないまでの、痛々しいまでのか細い声が、
なのにその儚さで、聞いている側の胸を動かすのが不思議でならなかった。
あまり物へと動じない、
可愛いとか切ないなどという感情を知らなかった自分でさえ、
何やらむずむずしたくらいで。
そおと傍らの彼を伺い見やれば、
無意識のそれだろう所作で、やはり胸元をきゅうと押さえている。

「…小早川。」
「あ、ははははい。」

驚かすつもりはなかったが、
もしやして…そのままにしておけば泣き出すかもしれないと思えてならず。
こちらもまた無意識のもの、ついつい声をかけていた。
危ういところだったらしい少年は、
ただでさえ潤みの強い大きな瞳をしばたたかせると、
ほうと我を忘れていたらしき自分の横顔を見られたことへか、
仄かに照れたように微笑って見せて。
見ることをやめられない、視線が吸い込まれてしまう景色があるように、
我を忘れて聞き入ってしまうようなお歌ってあるんですねと。
コンサート会場にと供されていた広々とした聖堂の、
暗い海のようになっていた客席の片隅で、
それは恥ずかしそうに小声で囁いて。

「………。」

そんなかあいらしいことを言い出した彼のお顔からこそ、
視線が剥がれず困ってしまった進だったりしたのだけれど…。





          ◇



季節は早くも初夏を迎える準備へと移りゆく頃合い。
春といえばで日本中が浮足立つ、あれほどの見事さで咲き乱れていた桜が、
いつしか瑞々しい緑の若葉に取って代わられていて。
その緑に拮抗するかのように鮮やかな、
ツツジや夾竹桃の、鮮赤や練緋や純白がお目見えしだす。
学内には理事の一人が寄贈した藤棚もあって、
そちらへもそろそろ、可憐な花房が下がり出すのではなかろうか。

「おや。」

珍しいところに珍しいものを見かけたものだから。
つい声まで出てしまったため、当の相手に気づかれてしまった桜庭で。
昼休みの中盤、
所用があってクラブハウスのロッカーまで足を運んでのその帰り、
近道をしようと思い、聖堂のある中庭を突っ切ろうとしたら、
その聖堂の正面扉のすぐ間近の陽だまりに、
仁王立ちにて立ちん坊をしている人影があって。
様々な種類の緑の中に、
白い制服のこれでもかと広い背中がいやに映えていたもんだから、
それが否応なく視野に入ったまでのことなのだけれど。

「どうしたんだい?」
「…。」

30分以上の空き時間が出来れば何かしらのトレーニングを手掛け、
15分以下なら背条を延ばしての瞑想に入るような奴が、何でまた。
コンクールが間近いからと練習中の聖歌隊の歌を、
わざわざこんなところでじっと聞いていたのだろうか。
付き合いが長くとも、いやさ、長いからこそ、
こんな奇異な行動は覚えがなくて読めなくて。
それでと訊いたまでだったのだが、

「…。」

沈黙の間合いを知らず数えて、
言いたくないなら、まあ良いんだけれどと、
小さな苦笑と共に息をつくようにして区切りをつけかけた、
そのギリギリの間合いに、

「小早川が。」
「ああ。」

合唱とか賛美歌とか、セナくんが好きなんだねと、
こんな短いフレーズだけで判ってしまう。
これもある種の“阿吽”というものだろか。
いやいや、必要に迫られて勘がよくなってしまっただけのこと。
それが証拠に、どうせなら進の側からも通じててほしいものだが、
向こうさんからは必要なものではないらしく。
こっちの想いやお願いが、
言葉を尽くしても届かないことの何とも多い、
困った御仁なのは相変わらずで。
とはいえ、

「綺麗な歌い方だ。」

おお、綺麗と来たか、と。
一応は役者でもある桜庭が、その肩が震えかけたのを必死で押し隠す。
あの小さなランニングバッカーくんが、
単なる知り合いから親しいお友達へとなって以降、
この、絵に描いたような石部金吉だった朴念仁に、
驚くべき変化が見られつつある今日この頃であり。

“セナくんが好きだって知ってるってことは。”

どこか他所の教会とかコンサートとかで、
一緒にいる時に聴いたってことだよねぇ、と。
詮索のつもりはなかったが、本当に何も語らぬ彼だから、つい。
こちらから身を乗り出して把握しておく悲しき習慣が、ついつい出てしまう。
もうちょっと何か拾えないかなと、
ここはこっちからもアプローチ。

「うん。賛美歌ってどこか特別な響きがあるよね。」

敬虔な祈りを込めた歌だから、
歌って聴いて楽しむという唄とは、
どこかで一線を画しているのかも知れなくて。

「お祈りを天高くまで届けようと思ったら、
 そんな風になってしまったものなのかもね。」
「…。」
「何だよ、何か言いたそうじゃないか。」
「そんな風にムキになってのことじゃあないのではと、小早川は言っていた。」
「セナくんが?」
「…。(是)」


『私たちは清らかですよと、聞いて下さいって訴えるんじゃなくて。
 そもそもの最初から、
 何にも重りなんてない無垢な気持ちで歌ったものから始まったから。
 それであんなに、透き通ったお歌が多いんじゃあないのかなって。』


原始的な宗教が自然への畏怖から始まるのと異なって、キリスト教というのは仏教と同じで、立場や生活が苦しい社会の下層部の人々の魂をそんな現世から救うことから始まった、教えを説く種のものであることくらいは知っている。恨んだり嫉んだり憎んだり、悪いようにばかり考える、荒んだ心根をまずは正しなさい。人に感謝し、人を愛し、人を許すだけの心の尋を持ちなさい…と。そんな形で“心の豊かさを持て”と説いて回ったのが恐らくは始まり。お祈りという心の集中は、漠然としたままで行うのはなかなか難しいので。直接心の安らぎを下さったお人、そんな風に説いて下さったお方を、例えば“神の子”として“教祖”として敬うという形から入ったことから、時の権勢者らに余計な勘ぐりを抱かせてしまい、謀反を起こそうとしている危険な一派かも知れぬと徹底した一掃政策を執られ、それにも負けずに広まれば、今度は外国からの侵略勢力から“国家を支える一大勢力だから叩いてしまえ”と弾圧されたり。


 「…進。そういう社会科のデータしか出て来ないわけ?」
 「………。」

言われてみれば、これは“賛美歌”にはあまり関係のない知識だなと、今 気づいた。
「…。」
そして、そうだったことを思い出していると、
「セナくんはそういう方向へ話がよじれても、ちゃんと聞いててくれてたんだね。」
やれやれという苦笑を浮かべて、桜庭がそんな風に口にする。
まだ何も言ってはいないのに。
「?」
そんな瞬きを、やはり拾い上げての応じがすかさず返って来て、
「そりゃあ判るさ。長い付き合いなんだから。」
つか、自分の言葉足らずに今頃気がついたんだ、こんの薄情者。
高見さんなんてもっと鋭かったんだよ?
恐らくはセナくんと逢う予定になってる日だったんだろうね、
進は今日は何か予定でもあるのかとか、
嬉しそうにしているの、チラ見だけでビシバシ読んじゃうんだから。
腹いせなのか一気にあげつらい、
それから…くすすと楽しげに微笑った長身のチームメイトは、だが、

「もっとも、こういうのってよくないそうだけれどもね。
 進のずぼらにますます磨きをかけちゃうでしょう?」

一から十って言葉を尽くさなくてもいいんだって、
それにばかり慣れちゃうと、そうでない環境に移ったときに困っちゃうよ?
セナくんがまた、そういう察しっての鋭いんだろうしね。
この際だから自分でも意識しとかないとダメだよ?

「そうしておかないと。
 今度はちゃんと言葉を尽くして言ったことへまで、
 これってどういう足りない部分があるのかなぁって深読みされたり、
 悪くしたらば、逆の意味にばかり解釈されたり、
 そんな風にいちいち勘ぐられてしまうようになるかもだよ?」

そうなっても良いの?と、
少々脅し半分の大仰な言いようをしているのだろう桜庭へ、

「…。」

やはりあまり表情は変わらぬまま、黙ってしまった進だったが。
されどそれは、言いたい放題をされて憮然としているのではなく、
何かしら長考の構えに入りかかっているらしいと、これまた桜庭には判るものだから、

 “付き合いの長さってのは恐ろしいよな。”

好むと好まざるに関わらず、こんな難物を理解出来るようになってるんだものね。
でも、俺が6年かかった把握に、
セナくんはほんの1年かからず追いついちゃったんだものね。
この野郎って目の敵にする“敵愾心”ほど強烈な意識はないって思ってたけど、
あなたが好きだっていう積極性の方がやっぱり無敵なんだなぁ、なぞと。
やくたいもないことを今更ながら胸の奥にて転がしていると、

「そんなことはない。」

あああ、ほらほら、言ってる端からこうだもの。

「セナくんは人の言葉の裏まで引っ繰り返すような子じゃあないって?」
「…。(是)」

寡黙な進の思うところが読めてしまう彼
(か)の少年の繊細な一面、
進の側でも把握出来ているということか。
長年傍らにいた朋友よりも付き合いの短い相手だってのに、

“現金なもんだよなぁ。”

まま、恋というのはそういうものだと、古今東西言われて来たことだ。
こんな石部金吉くんへも、例外じゃあなかったということだろう。

  ……… そして。

そうという結論に達した進だというのが、
こうまでの言葉少なさから把握出来る自分ってどうよと、
望んだ訳でもないのに得てしまった奇妙な特技へ、
されど、さほどムカつきはしない自分であることへもまた、
苦笑が絶えない桜庭だったりし。

 「?」
 「なぁんでもないよvv ああでも、賛美歌にも色々あるからねぇ。」
 「???」
 「ゴスペルっていう、いかにもパワフルでソウルフルなものもあるんだよ?」
 「そうる、ふる?」

ブルースブラザーズとか、天使にラブソングをとか、
映画の題材にもなってるんだよ? 今度セナくんとDVDで観るといい。
最近のじゃないから、スラングだの何だのややこしいものも出て来ないしね。
そろそろ予鈴が鳴るからと、
自分ととっつかっつの大きな背中を、
指の長い大きな掌で促すように叩いてやって。
相変わらずにマイペースだけれど、
ちょっとだけ変わりつつあるお友達へ。
それは楽しそうに笑って見せた、長身レシーバーさんだった。




  〜Fine〜 07.4.28.


  *あああ、今度は進さんと桜庭くんのお話になってしまったです。
   冒頭の二人の会話だけじゃあ寂しいかなと思ってつい…。
   本人にも自覚はないんだろけど、あれって立派な惚気じゃないかと、
   あとになって桜庭くんが苦笑してたりしてなvv

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